2010年7月アーカイブ

本のある生活

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生活に本がないなんて考えられない。
本は非常に大切なツールである。
少なくとも私にとっては。

なぜ大切かを、改めて考えてみないといかん。
それは本を捨てようとしているからなんだけど。

「別れたらあの人の素敵なところがよくわかったの...」
ということにならないように
大切な本はどれで?なぜ大切なのか?
考えなくっちゃいけないわけです。

本と触れ合うのは、いつ?
本を必要としているときはどんなシチュエーション?

A1...自分の中に問いがあって、そこに行き詰ったり
別のルートで考えてみたいと思ったときに
無作為に手に取った本を2ページくらい読む。
本の背(つまり題名)を眺め回す。

A2...純粋に良い文章を味わいたいとき
リズムを体に入れたいときに、特定の作家の本を読む。

今のところ、こんな基準で考えようと思っている。

=のこす本の基準=
・私が今後インスパイアされそうな本
(題名がいい、表紙がいい、文章がいい!など、ここがいい!と私が語れる)
・今後なくなりそうだが、読み返したい本
(あまり有名ではなくて、絶版になることが予想される本)
・まだ読んでいなくて、今年中に絶対読む本

=捨てる本の基準=
・特に気に入っていない本(しかし、これはウチにほとんどない)
・ノウハウ本、情報本で、既に内容を把握している、もしくはもう古い。
・もう読み返さない本

そして今回の目的は捨てることだから
捨てるか捨てないか迷ったら捨てる!

...できるかな。愛があるのに?

ラジオの街で逢いましょう.jpgのサムネール画像え?あいちゃんラジオ出てるの?

そうなんだよ、出てるんだよ。
アシスタントだから
餅つきの合いの手みたいなものだけれども。
良かったらあなたも聴いてね!

ということで宣伝。

「ラジオの街で逢いましょう」
InterFM (76.1MHz)で毎週日曜日夜11時から11時半に放送中。

そして下記のサイトでも聴く事ができます。
「ラジオデイズ」は声と語りのダウンロードサイトです。
http://www.radiodays.jp/radio_program/index

一つ前のブログで書いたビジョンワークショップでお世話になった
アーティストクリエティブディレクター谷澤邦彦さんの回はこちら。http://www.radiodays.jp/radio_program/show/250

昨日、ホワイトシップという会社のビジョンワークショップに
参加してきました。

恥ずかしながら、写真が私の描いた絵です。
ビジョンアート「幸」.JPG額になんか入れてもらっちゃって、もう!
子どもがよそゆきの服を着て
照れてしゃべらなくなっちゃったみたいになってます(笑)

パステルで描きました。
指でゴシゴシ画用紙をこすって色を広げたり薄めたりする
「コスリング」という手法(「ここ、笑うとこです」クニさん談)

指先で使うのってこんなに気持ちいいものでしたっけ?
あれ?私しばらく息してなかったのでは?と思うくらい
集中していました。
結構クセになりそうです。

最後に参加者同士でお互いの作品を鑑賞しあう
つまり、どう感じたかを言葉で伝え合うという
時間がありました。

言葉って、豊かなんだけれども
やっぱり記号だから、限界があるんだなあ。
限界を示す、境界を示している
というのが言葉の成り立ちであるから
当然のことなんだけれども。

だから言葉を遠くへ飛ばそうと、広げようと思ったときには
何かを伝えようとか、説明しようと思った瞬間に
それが不可能になってしまう。
むしろ反対に向かわなければならない。

言葉そのものを無意識化する必要が出てくる。
その言葉を知らなかった頃の感覚に戻ってみる。
「ねえ、この黒くて甘いごわごわしたにおいがする液体はなに?」
「それはコーラというものだよ」
という時点に、自分を引き戻してみる。
そのときに改めて、言葉を少しだけ味わったり
つかめたりするかもしれないと思うのだ。

そして、ものすごく単純に言ってしまえば
このコーラに、別の名前をつけることができたときに
あなたはすこしだけ遠くへ行くことができる。

でもそれでもほんのすこし。

たとえば軌道を数度ずらすことができたくらいのもので。
しかしそれももう「コーラ」とは永遠に交わることのない
新しい軌道が生まれたわけだから、人類の偉大な一歩ではある。

ところがどっこい。
アートはそれ自体が、まだ名前のないものである。
発見した星に名前をつけるように
作者は作品に名前をつける。
そして、それは実際の言葉の名前、ということ以上に
作品そのものが唯一無二のものとして独自の軌道と経験を持つ。

まるで人間のように。
だからアートとは、生きることそのものなのだ。

描いた後、自分や皆さんの作品を眺めながら
そんなことを考えていました。

興味のある方はこちらのHPに詳細があります。
一回のクラスが10名くらいなので、お申し込みはお早めに!
私もまた家族や友人を誘って行こうと思います。

ホワイトシップ Earthのまん中にはArtがある
http://www.whiteship.net/

今日は午前中に商標登録の関係で虎ノ門の事務所に立ち寄り
ランチは虎ノ門に行けばここに寄らずには帰れない
ということで平五郎。
そしてロールキャベツを頂きました。

「口福処」という言葉どおり
思わずにっこりしてしまう幸せな味。
喧嘩しているカップルや、仕事でイライラしたら
だまされたと思って行ってごらんよ。

このキャベツのお布団から
アツアツのじわじわが広がったら
頭の中に、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が
鳴り響いてきます。
そして、いっそのこと私もキャベツにくるまれて
食べられてしまいたいとさえ思うのでした。

平五郎HP

洋食屋 平五郎 (食べログ)

小田切大パブリック.jpgアートオブライフでは、インスパイアアートというサービスを
テストスタートいたしました。

例えばこれから子どもが生まれる夫婦が
自分の子どもに贈る歌をつくりたいと思う。

子どもを待望する気持ちは同じでも
夫婦の数だけ、違う物語があるでしょう。

それをアートオブライフがインタビューし
アーティストと「贈る歌」を作ります。

リアルで切実な思いに、アーティストが伴走する。

本当のアートって、本来はそういうものじゃないかとさえ
思うのです。

例えば、今から1500年位前のこと。
額田王(ぬかたのおおきみ)という女性が居ました。
この女性は、天智天皇と天武天皇、兄弟二人に愛されたことも
よく知られていますが(井上靖「額田王」など)
彼女は優れた歌人、つまりアーティストでした。

万葉集にも取り上げられている素晴しい歌があります。

熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

現代訳)
熟田津で船に乗ろうと月の出を待っていたら
月が出たばかりでなく、潮も満ちて
船出の準備が整いましたよ。
さあ、今こそ漕ぎ出しましょう。

この歌は、百済からの援軍要請にこたえるべく
朝鮮半島に出兵する兵士たちを勇気づける
鼓舞するための歌です。

おそらくその時の天皇や、当時皇太子として
執政にあたっていた中大兄皇子(後の天智天皇)らに依頼され
額田王は、なんとかこの兵士を勇気づけようとして
この歌が生まれたのではないかと想像します。

彼女が背負っていたのは、兵士たちの不安な気持ちと
なんとかして戦に勝ち、帰ってきて欲しいという国をあげての願い。

アートのひとつの形であり
アートの存在意義がそこにあるような気がするのです。

今を生きる私たちにも当然ながら
それぞれ複雑で切実な思いがあります。

その思いをアーティストが掴んで咀嚼して
普遍性のあるカタチに変えて
世界にダイブする。

それがインスパイアアートです。

今回、ご協力いただくアーティストの小田切大さんが
CDを発売しました。

パブリック(写真)

私は正直、このCDはギリーを知っていたから買ったのですが
聴いてみて、彼を知らなくても買っていたと思いました。
なんだか失礼なことをしてしまったと反省したくらいです。

余談ですが、岡村靖幸ファンの私としては
ど真ん中を打ち抜かれてしまう「笑った!」が一番のお気に入りですが
それ以外の曲も毎晩ループして聴いています。

小田切大さんにご協力いただくインスパイアアート
第一弾の歌も、どうぞ皆様楽しみにしていてください!
またこの件については、途中経過ご報告しますね。

小田切大オフィシャルウェブサイト
http://odagiridai.com/index.html

8月10日にライブもあります。
私も行きます。

2010/8/10(tue)
開場18:30  開演19:30
vo.小田切大、gt.竹中俊二、par.中島オバヲ
bass.大久保"チャイル"崇(THEラグジュアリーズ)
dr.Funky-Yukky(fromサンゼン、THEラグジュアリーズ)
ゲスト:マイア・バルー

会場:青山 月見ル君想フ
港区南青山4-9-1 B1F
TEL 03-5474-8115

"One hundred years from now,
it will not matter what my bank account was,
how big my house was,
or what kind of car I drove.
But the world may be a little better,
because I was important in the life of a child."
Forest E. Witcraft

A Hundred Years From Now
100年後、という詩。

これを初めて知ったのは、2008年夏のフィリピン。
私が所属しているパラサイヨという
チャリティ団体のツアーで、支援しているCMSPという孤児院に
行ったときのことでした。

そのときの孤児院の牧師さんであるキースのスピーチを引用します。

子供達に夢をたずねると
いつか日本に行って
自分をサポートしてくれた
全ての人に会いたいと言います。

子供達にとっては
パラサイヨに関わるすべての人が
家族であり、友達であり
希望なのです。

キースは言いました。

あなたの友情やサポートは
神が、私たちに示した
愛の証しと信じています。

あなたはいつも子供たちを勇気づけ
子供達の人生に
大きな変化を与えています。

即ち、あなたは既に、
子供達の人生の一部なのです。

感謝をこめて
あなたに
「100年後」という詩を贈ります。

「今から100年後、
預金残高がいくらだとか
どんな家に住んでいたとか、
どんな車に乗っていたかなんて
何の意味もない。
しかし、世界を少しだけ
少しだけ、変えることはできたかもしれない。

何故なら
ひとりの子供の人生にとって
私は意味のある存在だったから!」

あなたは意味のある存在だったから。

友よ、
あなたの人生が価値あるものになりますように。

他の人にとっても
あなたの人生が素晴らしいものになりますように。

CMSPより、感謝をこめて。

さあて、また夏のツアーの時期が近づいてきました。
今年はどんなことが起こるのだろう。