日記の最近のブログ記事

近況報告

user-pic
外はまだ満月に近い月で
でも少しほっそり、きりりとして見えます。

お元気ですか。
私はとても元気です。

毎日3,4時間しか寝ていないのに、この元気はとても不思議です。
妊娠中に寝だめしておいたのが、効いているのかもしれません。
あのころは一日に12時間以上寝ても、体がだるくてたまりませんでした。

からだってすごいですね。
赤ちゃんが産まれて、このからだは私ではなく
とてもよくできた器(うつわ)なのだという気がしています。

私を運びながら、リレーのように
命をつなぐための入れ物。

そしてこの神秘的なことを
大勢の人が平気な顔でやっていたことの驚き。

産まれてからの日々は
ベートーベンの歓喜の歌のように
忙しくて地鳴りがするような力強い喜びがあります。

赤ちゃんは4か月になり、だいぶしっかりしてきましたが
とても柔らかく、頼りなげに見えます。

私は今、自分が絶対に行けない未来を抱きしめているのだと
感じるときがあります。

それは今までになく自由な感覚です。
もう何かを探しにでかける必要はないのです。

でもそれは産んだばかりだからかもしれませんね。

やることは変わらず、いえ、それ以上にあるのですから。
今年は、子育て、家事、本の執筆、事業の立ち上げ...
今思い描いただけでも頭の中からあふれそうです。
それが幸せです。有難い有難いことです。

人生の旅はこれからも続きます。

今年もみなさんにとって、素晴らしい年になりますように。

素晴らしい体験を

user-pic
自慢話って、なんだか悪いもののようなイメージですが
私は好きですね。
中でも格別に好きな自慢話。
それはたとえば親の『子ども自慢』
これはとても朗らかな気持ちになります。
子どもが褒められると、まるで自分が褒められたように
鼻をぷくんと膨らませて照れた顔なんて見ると
どんどん嬉しくなってしまう。

素晴らしい体験です。

本当に大切にしているものが
褒められると自分まで嬉しくてたまらなくて
自然に身体反応まで現れてしまうなんて
なんて温かい。
あなたとその人には、きっと
はかりしれない歴史があるんだろう。
今もどこかで、多くの人が気にかけられ、
本人も気づかないくらいの速度で愛され
途方もなく守られているんだろう。

その素晴らしさを思います。

本のある生活

user-pic

生活に本がないなんて考えられない。
本は非常に大切なツールである。
少なくとも私にとっては。

なぜ大切かを、改めて考えてみないといかん。
それは本を捨てようとしているからなんだけど。

「別れたらあの人の素敵なところがよくわかったの...」
ということにならないように
大切な本はどれで?なぜ大切なのか?
考えなくっちゃいけないわけです。

本と触れ合うのは、いつ?
本を必要としているときはどんなシチュエーション?

A1...自分の中に問いがあって、そこに行き詰ったり
別のルートで考えてみたいと思ったときに
無作為に手に取った本を2ページくらい読む。
本の背(つまり題名)を眺め回す。

A2...純粋に良い文章を味わいたいとき
リズムを体に入れたいときに、特定の作家の本を読む。

今のところ、こんな基準で考えようと思っている。

=のこす本の基準=
・私が今後インスパイアされそうな本
(題名がいい、表紙がいい、文章がいい!など、ここがいい!と私が語れる)
・今後なくなりそうだが、読み返したい本
(あまり有名ではなくて、絶版になることが予想される本)
・まだ読んでいなくて、今年中に絶対読む本

=捨てる本の基準=
・特に気に入っていない本(しかし、これはウチにほとんどない)
・ノウハウ本、情報本で、既に内容を把握している、もしくはもう古い。
・もう読み返さない本

そして今回の目的は捨てることだから
捨てるか捨てないか迷ったら捨てる!

...できるかな。愛があるのに?

ラジオの街で逢いましょう.jpgのサムネール画像え?あいちゃんラジオ出てるの?

そうなんだよ、出てるんだよ。
アシスタントだから
餅つきの合いの手みたいなものだけれども。
良かったらあなたも聴いてね!

ということで宣伝。

「ラジオの街で逢いましょう」
InterFM (76.1MHz)で毎週日曜日夜11時から11時半に放送中。

そして下記のサイトでも聴く事ができます。
「ラジオデイズ」は声と語りのダウンロードサイトです。
http://www.radiodays.jp/radio_program/index

一つ前のブログで書いたビジョンワークショップでお世話になった
アーティストクリエティブディレクター谷澤邦彦さんの回はこちら。http://www.radiodays.jp/radio_program/show/250

昨日、ホワイトシップという会社のビジョンワークショップに
参加してきました。

恥ずかしながら、写真が私の描いた絵です。
ビジョンアート「幸」.JPG額になんか入れてもらっちゃって、もう!
子どもがよそゆきの服を着て
照れてしゃべらなくなっちゃったみたいになってます(笑)

パステルで描きました。
指でゴシゴシ画用紙をこすって色を広げたり薄めたりする
「コスリング」という手法(「ここ、笑うとこです」クニさん談)

指先で使うのってこんなに気持ちいいものでしたっけ?
あれ?私しばらく息してなかったのでは?と思うくらい
集中していました。
結構クセになりそうです。

最後に参加者同士でお互いの作品を鑑賞しあう
つまり、どう感じたかを言葉で伝え合うという
時間がありました。

言葉って、豊かなんだけれども
やっぱり記号だから、限界があるんだなあ。
限界を示す、境界を示している
というのが言葉の成り立ちであるから
当然のことなんだけれども。

だから言葉を遠くへ飛ばそうと、広げようと思ったときには
何かを伝えようとか、説明しようと思った瞬間に
それが不可能になってしまう。
むしろ反対に向かわなければならない。

言葉そのものを無意識化する必要が出てくる。
その言葉を知らなかった頃の感覚に戻ってみる。
「ねえ、この黒くて甘いごわごわしたにおいがする液体はなに?」
「それはコーラというものだよ」
という時点に、自分を引き戻してみる。
そのときに改めて、言葉を少しだけ味わったり
つかめたりするかもしれないと思うのだ。

そして、ものすごく単純に言ってしまえば
このコーラに、別の名前をつけることができたときに
あなたはすこしだけ遠くへ行くことができる。

でもそれでもほんのすこし。

たとえば軌道を数度ずらすことができたくらいのもので。
しかしそれももう「コーラ」とは永遠に交わることのない
新しい軌道が生まれたわけだから、人類の偉大な一歩ではある。

ところがどっこい。
アートはそれ自体が、まだ名前のないものである。
発見した星に名前をつけるように
作者は作品に名前をつける。
そして、それは実際の言葉の名前、ということ以上に
作品そのものが唯一無二のものとして独自の軌道と経験を持つ。

まるで人間のように。
だからアートとは、生きることそのものなのだ。

描いた後、自分や皆さんの作品を眺めながら
そんなことを考えていました。

興味のある方はこちらのHPに詳細があります。
一回のクラスが10名くらいなので、お申し込みはお早めに!
私もまた家族や友人を誘って行こうと思います。

ホワイトシップ Earthのまん中にはArtがある
http://www.whiteship.net/

今日は午前中に商標登録の関係で虎ノ門の事務所に立ち寄り
ランチは虎ノ門に行けばここに寄らずには帰れない
ということで平五郎。
そしてロールキャベツを頂きました。

「口福処」という言葉どおり
思わずにっこりしてしまう幸せな味。
喧嘩しているカップルや、仕事でイライラしたら
だまされたと思って行ってごらんよ。

このキャベツのお布団から
アツアツのじわじわが広がったら
頭の中に、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が
鳴り響いてきます。
そして、いっそのこと私もキャベツにくるまれて
食べられてしまいたいとさえ思うのでした。

平五郎HP

洋食屋 平五郎 (食べログ)

"One hundred years from now,
it will not matter what my bank account was,
how big my house was,
or what kind of car I drove.
But the world may be a little better,
because I was important in the life of a child."
Forest E. Witcraft

A Hundred Years From Now
100年後、という詩。

これを初めて知ったのは、2008年夏のフィリピン。
私が所属しているパラサイヨという
チャリティ団体のツアーで、支援しているCMSPという孤児院に
行ったときのことでした。

そのときの孤児院の牧師さんであるキースのスピーチを引用します。

子供達に夢をたずねると
いつか日本に行って
自分をサポートしてくれた
全ての人に会いたいと言います。

子供達にとっては
パラサイヨに関わるすべての人が
家族であり、友達であり
希望なのです。

キースは言いました。

あなたの友情やサポートは
神が、私たちに示した
愛の証しと信じています。

あなたはいつも子供たちを勇気づけ
子供達の人生に
大きな変化を与えています。

即ち、あなたは既に、
子供達の人生の一部なのです。

感謝をこめて
あなたに
「100年後」という詩を贈ります。

「今から100年後、
預金残高がいくらだとか
どんな家に住んでいたとか、
どんな車に乗っていたかなんて
何の意味もない。
しかし、世界を少しだけ
少しだけ、変えることはできたかもしれない。

何故なら
ひとりの子供の人生にとって
私は意味のある存在だったから!」

あなたは意味のある存在だったから。

友よ、
あなたの人生が価値あるものになりますように。

他の人にとっても
あなたの人生が素晴らしいものになりますように。

CMSPより、感謝をこめて。

さあて、また夏のツアーの時期が近づいてきました。
今年はどんなことが起こるのだろう。

シーサ.jpgちいさなことを大切にできるといい
入った後のトイレをちゃんと振り返って
確かめることができるような
駅でぶつかった人に(痛かったでしょ)ごめんなさいと
さらりと言えるような
そして毎日
ワルツのリズムで大好きな人にキスをする
できれば借金もなく
そして人にあげすぎて威張ることもなく
少しあまったから このワインは明日に取っておこう
そう思えるような毎日がいい

でも 野望はある
それはいわば 祭
そのときが来たら
お面を装着し 飛び出していく
そして駆け回り 祝い そして弔う
祭は文化を想いを伝える
高揚して毛穴が開いたら
情報は細胞を駆け巡り
からだによく染み込む
喜びもかなしみも勢いも一体感も
そして私たちが生きていて
いつか死ぬということ
そして死なないかもしれないということ
祭というゲノムに乗せて
あなたは100年後に何を贈りますか
何を伝えたいですか

命のバトン

user-pic

会社、粛々と準備を進めています。
考えて考えて、いろいろ煮詰まってもまた考えて
だんだん行く先が少しずつ定まってきました。

誰に、何を、どんな風に提供するのか。
どんな遠いところを目指しても
どんな大きなことをしようとしても
結局ボールは私の足元に戻ってくる。
そんな気がしています。

家族を幸せにできなかった偉人はたくさんいる。
彼らはとても頑張っている。
そんな人たちがたくさんいたからこそ、今の日本があるのだ。
戦争も飢餓もなく、美しいものに囲まれた平和な国。
心から感謝しています。

でも、今は2010年。
もう少し挑戦できるのではないか。
誤解を恐れずに言えば
「そのスタイルってもう古いんじゃないか」
生活も仕事と同じように大切に
しっかりできるかっこよさ。
できなくてもいい。
誇らしく思ってほしい。

遠いところに行くほど褒められる私たちは
いつもつい大きな話をしてしまうけど
家族こそがほんとうは
確実に世界につながる
100年後につなぐ命のバトン
父の心配顔や 母の呆れ顔が
今の私の等身大

私はまだ背負う子どもを持たないが
いつか会う子に伝えたい

世界よりもあなたが大事
愛する人が大事
親が大事
友人が大事
社会が大事
日本が大事
だから 世界が大事。

還暦のお祝い

user-pic

ままどおる還暦.jpg  本日は、我武者羅応援団 団長のむっちょり、
そして、サチアレトのまさくんのグレートマザー、
ままどおるのお誕生日です。
(写真でままどおるは赤いチャンチャンコの代わりに
学ランを着ています!)

先日は盛大な還暦祝賀会がありました。
我武者羅応援団の演舞会さながらに
コントあり、出し物ありのもりだくさん。
ままどおるといえば、書道。
ままどおるといえば、ままどおる(福島のお菓子)。
ままどおるといえば、かたやきそば。
...etcと、ままどおるの好きなものづくしで綴られた
半日イベントでした。
本当に楽しい時間でした。

ままどおるの若いときのスライドを見ながら(若いときのままどおるは夏目雅子似!)
お話を聴けたのもよかったです。

ままどおるの話を一部抜粋

自分はこの子(むっちょり兄)の母親だけれども
この子は私のものではなく、一人の人間なのだから
今、自分はその大切な命を預かっている。
私は縁あって育てさせてもらっているのだ。
この子の可能性は無限に広がっている。
私はそれをつぶしてはいけない。
そんな権利はない。
どうせなら、可能性を大きく大きく広げてあげたい。
だから、この子が好きだというものは
やりたいということは、できるだけさせてあげよう。
むっちょりが幼稚園のときに、そう思ったの。

この子(むっちょり兄)はね、電車がとっても好きだったのね。
踏み切りのところで電車を見るんだけど
ずーっと見てるのね。
ほんとうにずーっと見てるの。
子どもは好きだと思うとずっとそればかりやっているのね。
そのエネルギーってすごい。
大人ってすぐに飽きちゃうでしょ?
でも子どもってずーっとやってるんですものね。
何かを好きだ、と思う気持ちは、とっても尊いなあと思ったの。
そんなに好きならば気が済むまで見せてあげたいなと思って
よく踏み切りのところに立っていました。

兄弟は産まれたときから性格が全然違いました。
上(むっちょり)は抱っこしてないとすぐに泣いてしまって
ずっと抱っこしていたのだけど
下(マサくん)はお兄ちゃんがいたから、というのもあるのかしら
抱っこしてなくても平気。
ご機嫌にすやすや寝てしまってね...。

マサくん(弟)の話を一部抜粋

小さいときの話で覚えているのは絵本と泥団子の話。

幼稚園では毎週絵本を一冊借りることになっていて
読み終われば次は違う絵本を借りると思うんだけど
ボクは気に入った絵本を毎週毎週何週間も借り続けてた。
普通は、違うの借りたら?ってなると思うんだけど
おふくろは嫌な顔もせず、ニコニコしながら褒めてくれたんだよね。
「ほんとに好きなのねえ」って。
それが嬉しくて、また借りてきてはお袋に見せて
「今週もこれ借りたのー。大好きなのね。」
というやり取りを繰り返してた。

同じく幼稚園のとき。
泥団子作りにはまったボクは、毎日真剣に泥団子を作り続けていた。
昨日よりも今日、今日よりも明日というふうに
硬くて壊れにくく、かつ、美しい泥団子を目指し
誰よりもまじめに泥団子を作り続けていた。
おふくろに見せると(今思えばおかしくて笑ってしまうが)
「ほんどだ!たしかに昨日より硬い。」とか
「かたちがいいね!」とか
いい反応がかえってくるので、どんどん泥団子づくりはエスカレートしていく。
しまいには、丁寧に白い砂をかけたりして
よそゆき風になっている泥団子を、ほらすごいでしょ?見せると
(ボクはあとにも先にもあんなに綺麗な泥団子は見たことがない!)
「わあ!綺麗!!!」と真剣に感動までしてくれた。
(だって本当に綺麗だったのよ。と、ままどおる)
その間、家の中まで泥だらけだったね...

というふうに、他にもいろんなエピソードが語られていきました。

私は大変恥ずかしながら、両親の還暦のときには
なんのお祝いもしませんでした。
まだ親にはなにも返せず、もらいっぱなしの垂れ流しで。
私のことはさておき。

ままどおるは、還暦を期に
「ままっち」に改名するそうです。

還暦とは赤ちゃんにかえって、
生まれ変わる意味もあるそうですよ。

ままっち。お誕生日おめでとうございます。
また書道、教えてください。

写真について
イベントの参加者は、ままっちをあらわす漢字を一文字書きました。
墨をたっぷりつけて書きました。

ままどおる光.jpg私は「光」にしました。
光は周りを照らすけど、照らそうという意図はない。
輝いているから、私たちは温かく、光の中にいるのだ。
そんなことを思いました。

もう一枚は"ままっち還暦祝い実行委員会"
通称MJKの面々。
おいしい時間をありがとう。